氷河期世代はいつ解凍されるのかしら

氷河期世代もしあわせになあれ。氷河期世代も楽しく生きられるようになあれ。

仕事がないことを考えない。

わては何年間も自分にないものについて、持っていないものについて、考えていた。

たくさんのものがないし、たくさんのものを得られなかった。

それを思い出し、考えては落ち込んでいた。

仕事もそうだ。

 

だからわては落ち込まないために、

その、仕事がない、ということを考えないことにした。

とたんに落ち込まなくなった。

 

 

例えば、地球に恒星間航宙輸送機がないということについて考えたからといって別に落ち込むことはないだろう。だから、仕事がないという事を考えたからといって落ち込まない。

 

 

ないものを数えない。

仕事がないことを数えない。

ないものはない。

 

仕事がないのも、ない人にとってはあたりまえのことだ。

仕事があるのも、ある人にとってはあたりまえのことだ。

 

そんな世界だから、仕事がある人は仕事があることをあたりまえと思い込んでいる。

 

すべての人に仕事があることがあたりまえだったことなどどの時代にも存在しない。

そんな人間に都合のいい世界、時代はこの地球には今まで存在しないし、今後もほぼ存在しえない。

 

もしかすると、3000年後の地球か、遠い銀河の知的生命体のいる惑星にはあるかもしれない。

というより、それくらいわずかな可能性しかない。

 

やっぱり、仕事がないのはあたりまえなのだ。

恋人がいないのもあたりまえの人にはあたりまえだし、権力がないのも、独身なのも、どれもこれもそれぞれ当人にとっては至極当然で、あたりまえで、もしかすると、他人や社会や本人の力では到底変えられないものである可能性すらある。

 

 

それが、ない、というものだ。

それが、ない、というものの本質だ。

ないもの、とはそういうものだ。

 

 

だから仕事がなければそれを受け入れ、仕事がないことに執着せずに、考えずに生きるしかないのだ。

 

仕事があるのがあたりまえの人にはわからない。

仕事があるのがあたりまえの人でもわかる人もいるよ。

 

ともかく、なにもかも、宇宙では何もかも、ない、と、ある、その事実だけがあたりまえなのだ。

 

ない、と、ある、が同時には存在できない。

ないならない。あるならある。

 

それだけだ。

 

ないという事をある者にはわからず、

あるという事をない者にはわからない。

 

 

ただそこには

ない者がある者を

ある者がない者を

互いにわかりあわず潰しあう、

そんな世界がある。

 

それもまた、

あたりまえなのだ。